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ロッシーニのスタッカートとグノーのスラー

書いてあることと、書いてないこと。

エルミオーネで、上行のアジリタのてっぺんにスタッカートが付いている部分があります。でもってロッシーニの書くスタッカートは、どちらかというと短いアクセントです。でもこの部分からは何となく「高音になったからってここで粘らないでね。忘れないように・書いとくね」的な作曲者の声が聞こえる気がします。つまり、私はここでアクセントもスタッカートもするつもりがないのです。したら変だから。

サフォーには結構スラーがあり、このスラーは全部やらなきゃいけない雰囲気を醸し出しています。ある部分は到底スラーにできるような長さではないのですが、その音を少し溜めてでもスラーにしなきゃいけない感じがします。「僕の考えたメロディラインはこのスラーも含んでいるんだから省いちゃいかん」と言われているようです。逆に、スラーは書いていないのだけれど普通に歌うとスラーになるから、わざわざ書かなかったのかな、という部分もあります。

先日、たぶん楽譜通りなんだけどとてもつまらない演奏と、楽譜に書いてあることが歌えないならその役やめちまえと言いたくなるようなつまらない演奏に接し。でも自分自身も全て楽譜通りに歌っているわけじゃない。

音楽は再創造の芸術であり、楽譜は守るべきものです。でも楽譜にも間違いはあるし、作曲者の描きたかった音楽が全て楽譜で表現できているはずもない。特にエルミオーネやサフォーの場合は、初演歌手の声ありきで書かれているので、作曲家はフレーズをコルブランやヴィアルドの声で「(脳内で)聞きながら」書いていたはず。だから歌手はその作曲家の頭の中にあった音楽を、楽譜を手掛かりに想像しなきゃいけない。自分の持っている楽器に合うように歌わなきゃいけない一方、自分勝手に、音楽を「私物化」して歌ってはいけない(だから選曲や配役はとても大切)。

その想像力が「音楽性」なのかな。

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