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白峯と響きの謎

オペラって声だと思う。

昨日は白峯という楽劇を拝見してきました。今回のウチのルーナ様こと大塚さんが西行を歌われたもの。私は雨月が大好きなので、ずーっととっても楽しみにしていました。

いろいろと実験的な試みがされていて、よかったところも、イマイチに思ったところもあるけれど、残念だったのは歌手が生声じゃなかったこと。生声もまあ聞こえてはいるのだけれど、ほとんどアンプの音で、歌手とほぼ同じ位置から出ていて、倍音を楽しむことはできない感じ。オーケストラはとても重層的で美しい緊密な音になっているのに、なんで声の響きは聞かせてくれないんだろ…。なんだかスイカ割りしたら、スイカの中身がスイカゼリーだった、みたいな感じ。

とはいえ、アンプにフィルタされちゃってても、大塚さんの声の引き締まった迫力は健在で、物語をびしっと締めてくださってたな、と。でもせっかく生で聞いているのだから、他の歌手の方も、ちゃんと響きの揃った声が聞きたかった(崇徳院の声の一部には処理があってもいいと思うけれど)。

最近思うのが、「声」そのものと、響きの付き方というものは分けて考える必要があるということ。上の響きが足りないのと、声がフラットなのは違うし、下の響きが足りないのと、声が軽いのも違う。

そういえば数年前に清教徒で大塚さんとはじめて二重唱をさせていただく前、こーんなすごい声の方と歌ってパニックにならないのかな、と心配していたことを思い出しました。でも実際にすごく近くで歌っていても、音が大きすぎるとは感じない。それはちゃんと響きの形が「綺麗」で雑味が少ないからだと思う。今回のトロヴァトーレでも同じ。というか今のほうがもっと綺麗。綺麗って何か、何をもって綺麗と感じているかと言われると、オカルトになってしまうのだけれども。

逆に稽古場では爆音でも客席では貧弱に聞こえる声もあるけれど、あれも「声」と響きのバランスの問題なのかしらん。

響きっていうのは、やっぱり謎が多い。私の響きももっともっと「綺麗」にならないかな……って自分の声は自分で聞けないけれども。

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