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音楽稽古ほぼ終わり

厳密にはあと1回あるのですが。

お稽古は楽しいのだけれど、反面個人的に複雑すぎる感情もあって、ふっと気が抜けたりすると、胸の中が哀しみでいっぱいになったりもします。でもまだ歌えているというのは嬉しいこと。みんなそれぞれの立場でがんばってくださっているし、私を見守って支えてくださっている方もおいでになる(どれだけ心強く、嬉しく、かつプレッシャーでもあることか!)

アンサンブルに入ればブッファに浸れるけれど、コンテッサは一人だけセリアキャラでもあるし、彼女は基本的に振り回されてはいけない人で、コンテ、スザンナ、フィガロのいずれからもちょっと距離を置いた立ち位置だと思います。コンテのことは愛していても、不倫でやきもきしていてちょっと辛辣。スザンナのことは可愛いけれど、あくまで召使い。フィガロには親しみがあるけれど、あんまり頼りにはしていない。
おじさまには甘やかされて当たり前、アルトゥーロには愛されて当たり前、というわがまま娘エルヴィーラも、入って行くのが大変だったけれど、コンテッサの孤独感……一人でしっとりとしたセリアの世界を保たなければいけないのも、とても難しい。マエストロが、コンテッサは究極の役、とおっしゃるのもこういうところなのかしら。ルチーアの、恋人とお兄ちゃんが怒っていて、追い込まれて狂って、ブチ切れてしまう、というのは私は楽でしたが。……でもってそういう、役柄というのはちょっとずつ現実世界の人間関係にも投影されてしまうわけで。稽古中はちょっと多重人格気味。

歌っていていちばん緊張するのは、やっぱり両アリアだけれど、特別なのは4幕フィナーレのクライマックス、コンテのContessa perdono…と、コンテッサのPiu docile io sonoの部分。コンテがとってもドルチェに歌ってくださっているので、私もその息をいただいて入りやすい。でもコンテッサのほうがさらに優しくないと。緊張することもできないぐらい繊細な部分で、息をすーっと流して、流れを変えないで3フレーズ、最後の装飾音に向かって、少しだけ音を豊かにする。ものすごくうまくいったら、自分の声じゃないみたいな美しさを感じるけれど、ちょっとでも息が止まったり音が入らないと、どかーんと落ち込んでしまう。ここはバリトンも大変らしくて、この旋律の受け渡しで夫婦の絆が戻るというのも、当事者としてはわかる気が。ちょっと共闘感があるものな…。

コンテの高田さんは、柔らかく溶けやすい響きと、けっこうしっかり重めなバリトンの声質の組み合わせが、ちょっと珍しいタイプ。私はすごく合わせやすいぶん、無造作になりがちなのでもっとしっかり聞かなきゃ。フィガロの大塚さんとは、私は慣れがあるので、合わせようと思ったらいつでも声を付けられるのが楽。お二人はどっちがフィガロでコンテでもいいのだけれど、今回のほうが原作の年齢や性格の設定に忠実でよいかも。

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