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胸の中のゴミとか宝石とか

最近いろんなコンサートにお邪魔しています。

私は歌う人なので、歌を聴くととっても疲れます。どうしても体がその発声をシミュレートするらしく、ああ、ここがああなってこうなってこういうふうなのか、という具合。それが自分のポジションと合えばいいのですが、合わなくて力のある声だとものすごく疲れます。

疲れ方にも二通りあって、違和感で落ち着かなくてなんだか胸の中にゴミが溜まっていくような時と、響きに埋め尽くされて共鳴腔として使われているように感じる時と。後者はちょっとマゾヒスティックに楽しかったりします。

声も好み、歌も表現もいいんだけれど、なんだか胸の中に届かない。そういうこともあります。

一人ずつは好きなのに、アンサンブルのバランスが悪い時は、胸の中もぐちゃぐちゃ。ぴったり合っている時は、響きの中で酔っぱらい。

客席にいてさえ、体の中がすーっと綺麗になったり、キラキラしたものを胸の中にもらえることもあって、そういう時はとても嬉しい。もう一年ぐらい前ですが、ワーグナーのレクチャーコンサートで、テノールの片寄さん(知らない方)がパルジファルの何か(ワーグナーわかんない)を歌ってらして、その中で一瞬、ものすごくピュアで綺麗な何か(声とか響きというより)を見せてくださって。スピントの強いテノールさんなのですが、私の中では「綺麗」分類。

こういう綺麗なモノっていうのは、自分の力では作れないし、貰えないもの。誠をもって音楽に仕え続けて、ほんの時々、神様がくださるもの(どういう名前で呼ばれる神様でも構いませんが)。

ん。歌ってオカルト。

こういうことを言うと、たいていの人には通じないのですが、何人か説明しなくてもわかってくださる方がいらっしゃって。他にも幽霊が見える人がいた!という感じにほっとします(私は見えないけど)。

しかし…私の声も誰かの胸にはゴミになっているのかなあ…。

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