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1コ前に戻ること

リッチさんはいい人だ。

ヘンデルといえば、Lascia ch'io pianga とかLargoとか、もうイタリア歌曲みたいになっているものが多く演奏されますが、もちろんそれだけじゃなくて。ヴィルティオーゾもの、つまり当時カストラートとか、ものすごい声楽技巧を叩き込まれた歌手たちが歌った作品を、幾つかやりたいと思っています。いわゆるダ・カーポアリアで、ABA'のA'の部分はヴァリエーションを付けなきゃいけない。ロッシーニ以降のものなら、リッチさんのカデンツ集(全4冊)にけっこう載っているのですが、ヘンデルはない。ん〜、時間かかりそう。

○ドイツっぽいものの流れ
ヘンデル→モーツァルト→(ロッシーニ)→マイアベーア→ワーグナー

○イタリアっぽいものの流れ
ロッシーニ→ベッリーニ/ドニゼッティ→ヴェルディ→プッチーニ→ヴェリズモ

私は作曲家をなンとなく感覚的に、こんな感じで認識しています。
普通は、ドニゼッティの小品あたりから始めて、椿、ボエーム、カヴァレリア、みたいな感じだと思うのですが、私はそちら側にはまだあんまり興味がなくて、ヴェルディもベルカントが残っているものまででいいや、という感じ。そのかわり、ロッシーニが好きなので、どうしてもヘンデルは勉強しなきゃいけないし、マイアベーアさんとは一年間ラブラブ中。

ドイツっぽいもののドイツっぽさというのは、どうも音が理屈っぽいところ。ベッリーニみたいに感覚がすべて、な人から戻ってくると、??な音が少なくて、和音とかが几帳面な感じがします。音をきちっきちっとというのはロッシーニも同じなのですが、ロッシーニはとても声楽的、ヘンデルはアクロバティック、モーツァルトは器楽的、マイアベーアはその中間。

ロッシーニが歌いやすい私には、マイアベーアはけっこうスパルタ。腹筋で放り投げる音が多いです。モーツァルトは音楽の美しさや楽しさに反して、声楽的には試験課題のようなもので、いぢわるではないのですが、音符が助けてくれないのでアラを隠せない。ヘンデルは2オクターブの完成度、完璧への挑戦。

1コ前に戻ること。つまり、それぞれの曲を初演した歌手は、その前の様式のものを歌っていた、というのは常に頭にあるべきことだと思います。実際ドン・ジョヴァンニで苦しんだ時、ヘンデルが薬になりました。ロッシーニをしっかりやるとマイアベーアが歌いやすいし。そのへんのアジリタを歌ってたら、ヴェルディなんかアジリタあったっけ?だし。トロヴァトーレのTacea la notteのカバレッタとか、昔はどう歌っていいかわからなかったけれど、今はカヴァティーナのほうが難しい、かな。

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