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けっこう正気〜Qui la voce

狂乱を忘れていました。お稽古でほとんど歌ってないもんなあ。

エルヴィーラの狂乱は、アリアとしてよく歌われます。私もはじめて歌ったのは10年以上前です。ただし、コンサートカットの場合、影歌、中間部、カバレッタの2回目は通例カットされるので、そこははじめて。

今回、オペラの中のアリアとして歌うにあたって気をつけたのは、この曲をレジェの曲ではなく、リリコの曲として処理すること。前半のQui la voceは、影歌から始まり、中間部の終わり(今回Non te merはカット、ここのエルヴィーラの性格がきらいだから)まで、この旋律を繰り返します。なので、Chi sei tu?の芝居に違和感なく入れる、つまり感情のある歌い方を、と思っています。でもやりすぎるとリリコの曲ではなくてドラマティコの曲になってしまう。そこのさじ加減というのは、声も含めて、まだ試行錯誤しているところです。

ということで、中間部に入るまでに、ジョルジョとリッカルドが泣けるような芝居をしておかなきゃいけない。この二人はオペラの中でやたら泣いている気がしますが…。そもそも狂乱の前にあのおじさまの美しいアリアがあり、エルヴィーラの狂気があらかじめ説明されているので……もうねえ。

中間部の最後(今回の)は、「私の命を奪ってください、でなければ愛する人を返してください」と歌うのですが、これは神様に向かって言えばいいのかなと思っていたのですが、立ちを考えていると、ジョルジョに向かって言ってもいいのかも、と思いました。芝居次第かなあ。この前の部分で、ジョルジョは、エルヴィーラがリッカルドのことをわからずに、無邪気にグサグサ傷つけるやりとりに耐えられず、エルヴィーラを抱きしめて、「神が苦しみを癒してくださる」と言い、なンとエルヴィーラは「決して!」と答えます。……このオペラって「清教徒」でしたよね。まともに清教徒的なのっておじさまだけやん。

Vien dilettoをリリコの曲として歌うというのは、つまりレガートラインを崩さない、ディノーラでいうpique(つっつく)をしないということ。Esからhigh-Dまで半音階で下がりながら上がっていくというところがアジリタ的にはハイライトなのですが、high-Dもレガートラインの中におさめてしまう。ベッリーニは派手に歌ってもらうためにここを書いたのではなく、あくまで優美の追求としてのアジリタなのだと思います。

カバレッタの二回目は、結局サザーランドのヴァリエーションを歌うことにしたのですが、スタッカートとか表現はもろもろ変えています。これ、派手に聞こえるのですが、実際はオリジナルを完璧に歌うほうが難しいような。様式的にどうか、ということはありますが、まあ伝統を重んじて。最近のマチャイゼやネトレプコも、たぶんサザーランドのをベースに音を抜いているだけで、まったく違うものは聞いたことがない。ベッリーニの様式でオリジナルを書くのは、私には無理。

最後の部分は、私はインテンポで表現を入れずに歌うのが好きです。Esから、こんどはhigh-Cまでの下降音型があるのですが、はじめて稽古で歌った時に息が足りなくなって、がーん。こんなとこノンブレスで歌えないなら、この曲やンないほうがマシなのですが、男声が入ってちょっと動揺したのかも。。2回目以降はちゃんと歌えてほっとしました。

この曲はいわゆる「狂乱の場」なのですが、3月に歌ったルチーアとは狂っている度合いがまったく違います。で、ルチーアが狂っているのは狂乱だけなのですが、エルヴィーラは、1幕フィナーレ、狂乱、2幕二重唱〜フィナーレのラスト直前までずーっとおかしくなっています。でも、常にムラがある狂気で、アルトゥーロが逃げたこと、愛に希望がないことはわかっている。むしろそのことしか考えられない。私はここは、子供がえりした、と捉えています。もともと子供っぽいけど。

……お稽古で狂乱をやったのは、今のところ1回。あと男声のある部分だけ1回。みんなアリアはそんなものだけど、コンサートのほうがきっちりピアノ合わせする気がします(笑)。

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