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白川先生と狂乱役

FaceBookで触れたらとまらなくなったので。

『文字逍遥』は、私の崇拝する白川静先生の、そのきっかけとなった本です。冒頭、「遊字論」の

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」

この言葉を読んだ時の衝撃は忘れられません。白川先生は宗教者でも芸術家でもありませんが、舞台に立つ(私の場合は歌う)という心持ち、そして芸術の本質を、これ以上に表現した言葉を知りません。

ここでいう「神」というのは、特定の宗教の神をさすものではありません。人を超えた存在として認識されるもの、という広い意味でよいと思います。

「遊ぶ」というのは、まさにそれがこの論文の主題なのですが、またもや大雑把に、人が生きていくために最低限必要な行為ではないこと。要するに文化的行為全般を指していると思っていいと思います。歌舞音曲、絵画彫刻、そういったもののすべては本来、日常から逸脱した場にあったものです。

「遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。」

白川先生は学者さんですが、その文章には、泉鏡花と同じような気韻を感じます。

そしてこれが、私が狂乱(オペラの『狂乱の場』、物狂いの役)マニアであるいちばんの理由です。オペラは俗なものです。しかし、歌手は異常です。そもそも話すことに対して歌うことは、声帯の使い方として異常です。歌手の高音/低音/強弱/技巧は、猫のゴロゴロと同じぐらいミステリアスなものだと思います。その中でさらに狂った役は……巫女的であり、つまり神がかり的であり、純粋に「遊」の本質まで遡ることができるので、私は大好きです。

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