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父親の愛〜Cinta di fiori

ジョルジョおじさまのアリア。

オペラというのは、声を極限まで使うことを求める芸術です。音域も、技術も、声量も、それを維持しなければいけない時間も。しかも演技というハンデをつけて。

音域は、わかりやすいです。上でいくとソプラノのhigh-E,F、テノールのhigh-C,Dとか。人間の声に聞こえないような音があります。下もヘ音記号の五線を下に抜けたところの音とか、サブウーハー付き、みたいな低音もものすごいものがあります。これはもう、出る人は出る、出ない人は出ない。もちろん出る人だって、ものすごい努力を重ねて、出してるわけで(一部そうじゃない人もいますが)。

技術は、これもわかりやすいです。たとえばアジリタ(細かい音を歌う技術)とか。6/8拍子で、付点四分が80の指定だと、八分音符が240。これで基準である60秒を割ると、0.25秒。楽譜で求められている十六分音符は、これの半分の、約0.125秒。ヴァリエーションがあるのが八分音符を三分割した0.083秒。要するに1秒間に10コの音を歌えと言われているわけです。ちなみにこれはディノーラの2幕終わりの三重唱。頭で何か考えていると絶対に間に合わないぐらい速いです。ハードロック並み。

でもね…。コロラトゥーラ・ソプラノが言うのもなンですが、こういうのは曲芸なのです。もちろん超絶技巧には、スポーツのように人を感動させる力があるのですが、歌手ってそれだけでいいかというと、そうじゃないと思います。

心地よい声、豊かな響き、情のある表現、そこににじみ出る人柄、その時その場所の空気。そういうすべてのものが、聞いている時間を特別なものにしてくれる。

Cinta di fioriはそういう曲です。旋律はとても単純で、繰り返しで、聞いた人が帰りに口ずさむことができるぐらい。歌を始めたばかりの人でも、旋律をなぞることは簡単だと思います。でも、この、バスのアリアだと思えないぐらいに、たおやかで優美で繊細な旋律線をレガートに表現するのは…。

曲の内容は、苦労してお膳立てした結婚が未然に破綻し、手塩にかけて育ててきた娘(姪)が狂ってしまった。彼女の様子を知りたがる人々に、言葉を選びながら淡々と語ろうとするのですが、だんだんと、娘への変わらぬ愛情と、何もしてやることができない悲哀が募り、ついに言葉が途切れ、打ち拉がれてしまう。涙なしには聞けない曲です。

この曲のいちばん好きな演奏は、カラス盤の、ニコラ・ロッシ=レメーニです。次点がサザーランド盤のニコライ・ギャウロフ。どちらも柔らかないい声で、知的で情緒に溢れていて素晴らしいのだけれど、ギャウロフの声は、私のおじさま理想像よりほんの少しだけ重すぎます。このアリアは、どこか不安定で人間的なほうが好き。ロッシ=レメーニはその点ど真ん中。マチャイゼ盤のダルカンジェロは逆に軽すぎ。ネトレプコ盤のレリエは、声質はストライクなんだけれど、このアリアに限ってはもうちょっと枯れていてほしい。

さ。泣いてもらえる娘にならなきゃ。

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