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比較オペラ学

比較神話学じゃないですが、いろいろ並行することで見えてくるのは面白いです。

ダラダラを満喫した冬休みが終わって、今日は普通の休日。ということで、普通に練習。

ディノーラを全曲歌ってみた(歌詞は超絶いい加減)ら、大変そうだなと思っていた重唱のアジリタがそうでもないとわかってちょっと安心。ロッシーニともベッリーニとも違う感じで、♪はぐるぐるしているのに、あまりそう聞こえないというか、もっとお洒落で、大衆的で親しみやすい感じ。歌詞がイタリア語だったら暗譜速かっただろうなあ(イタリア語版も全曲あります)。

ルチーアは、細かい部分はまだいろいろあるのですが、とにかく、ハイライトカット(つまり休みがない)で、実寸で歌ってみるという練習。Regnavaの最後の通例カットの部分を開いただけで、やっぱり疲れる…のは歌い慣れの問題なのか、ホントに疲れるのか。エンリーコとの二重唱をどこまで重くとって歌えるか、狂乱にどう影響するのか、どこをどういう声で歌いたいのか、そのために何を気をつければいいのか、のチェック。

こうもりはまだ譜読みなのですが、オルロフのアリアを歌って、次のアデーレのアリアの導入を歌ったら……やっぱりアリア歌いたくなりますよね。音つけながらどこまで爆笑できるかとかバカなことをやっていると、窓の向こうでジョルジョくんがアヤしげな顔で見ていました。でもって、チャールダッシュもたまには歌いたいでしょ。12月はロザだったんだし。なンて遊んでいると、暗譜が進まない…。でも、たとえば同じ音でも、オルロフ、ロザ、アデーレってみんな発声が違う。声が耐えられて音域があるなら、どの役をやるかは、歌手の趣味の問題じゃないかな。

清教徒は今はちょっと練習おやすみで、たまに発声がわりに流してみる程度。でもこういうのが油断大敵なンですよねえ…。しかし、ルチーアとエルヴィーラの狂乱の違いをいろいろ考えていましたが、ディノーラの狂乱はまたまた違って、どっちかというと子供がえりしているというか。エルヴィーラもそういうところがありますが、ピュアであることの神性というか、ルチーアも最後だけはそれでいいのかも。

ルチーアの狂乱のカデンツが元々はなかった、というのは有名なこと。でもなぜフルートとの掛け合いだったのか、歌っていても聞いていてもちょっと意味がわかりません。技巧だけ? ディノーラの狂乱(影の歌)の最後も、長いカデンツが入るのですが、これが掛け合いなのは、この曲自体が「ディノーラ」と「影」の対話だからで、フルートは「影」がディノーラの真似をしている。旋律を真似て追いかけるというのは、1幕の二重唱とか、ディノーラのキャラそのもの。やっぱり意味があるもののほうが歌いやすいです。

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