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狂ちゃんの京乱

って友人に言われるほど、狂乱モノが大好きです(今更?)。

どうして好きか、って、たぶん精神状態が「行き過ぎて」いるので、歌う時に集中しやすいのだと思います。アジリタも高音もいっぱい出てくるし、中音域鳴らしていい曲が多いし。諸々技術的にチャレンジングなのも、スリリングで楽しい。

ということで、本年初稽古は、ルチーアの狂乱と清教徒の狂乱。まだ「合わせてみる」ぐらいで、集中して歌えたわけではないのですが。……より課題が多く残ったのがルチーアのほうだっていうのは、どうなんでしょう……。清教徒は歌いやすかった。ルチーアはまだ声が落ち着いていないです。ベッリーニとドニゼッティの趣味の違いっていうか。ベッリーニはとにかく旋律線重視で書いてあるので、歌いやすいのは当たり前なのですが。

ルチーアの狂乱、中間部の前の長いヴァリエーションなのですが。。。これ、何を考えて歌ったらいいんでしょうか? Alfin son tua...とかむっちゃ芝居をやって、ここだけ曲芸やって、またChe chiediで芝居に戻って。なんだか変な気分で、音も落ち着かない。カットしたい(だいたいドニゼッティは書いてない!)けど、どうにも、お客さん的にはやらないといけないみたいだし。だったらフラッシュバックをやっていたスチューダーのアプローチのほうが正しいんじゃないかなあ…。慣習のヴァリエーションに気持ちを乗せられれば、それがベストなのでしょうが。

清教徒のほうの中間部で、リッカルドが泣いているのを見て、「ジョルジョに」泣いているのは愛しておられるからね、っていうト書きがあるのですが、ここ、エルヴィーラの精神的な幼さがよく出ている場面だと思います。最初よく見てなくて、リッカルドに言うんだと思っていました。おじさま(保護者)に言ってみて、自分で納得してから、リッカルドに言いにいく。もともと幼い人ですが、狂乱して子供がえりしている感じです。ここで「愛しておられるの?」って大人の言葉で言ってしまうと、リッカルドは立つ瀬がないわけで。次の二重唱で改心してもらわないといけないので、この場面は大事にしたいところです。

さて、両狂乱と、あとルチーアとエンリーコの二重唱も歌ったのですが、最後high-Dとかhigh-Esで終わります。こういう高音の前を休んだり、テンポを落としたり、間隔を空けたりというのが私は好きではなくて。でも、そういうのがあったほうが、「期待感」があるのは理解できる。できるけど…高音を出すために歌っているわけじゃないし(E,Fはともかく、Esはソプラノなら出して当たり前、ロングトーンができて当然、の音だし…)、作曲家が書いてない音を出すのだから、せめて音楽の中でやりたい気もします。……と言いつつ、狂乱の最後のEsも8小節と1拍伸ばしたい私。だってそれが一番音楽的に美しいと思うのだもの。なお、ソプラノの超高音は、体力も息もほとんど使わないので、べつにどれだけ長くてもいいわけで、そのへんテノールとは違う…らしい…です。

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