« まんまるのまんなかに | トップページ | ろじかるしんきんぐ »

大きくて些細なこと

何が変わったかって、新しいことは別に。

今日は研究所の椿姫のお稽古に行ってきました。またまた演出不在、発声中心。ということで、演技はどうでもいいや、というか、自分の決めた流れの通りほぼ器械的に動きました。暗譜もとりあえず終了したので、まあ、どういうこともなく。昨日ウチの先生と作ったイメージを大切に歌いました。

発声の指導は、呼吸を安定させること、顔と咽喉の微細な筋肉を鍛えること、正しいイメージを持つこと。というので、小学校の合唱クラブの時の夏の自主練、腹筋50回、鏡の前でニッコリetc、から始まって、軟口蓋がどーしろ、マスケラ(顔の上半分)をこーしろとか、頭蓋骨の周りのパーツの位置とか、もう数限りなくいろんなことを言われて、やってきたわけです。中には、口角を上げろ、というのと、鼻の幅しか口を開くなというのとか、どちらも完全に正しいのだけれど、一緒にできるわけがないこともあります。

仏教用語で方便というのがあり、これは日常用語としては「嘘も方便」など悪いことに使われたりもするのですが、本来は、意識の低い人に意識を持たせ、悟りに導くために、とりあえず「そういうことにしておく」ことです。お酒を飲むな、とか。

歌の場合、自分の体が楽器であり、しかも必要な筋肉のほとんどは不随意筋(意識して細かく制御できない筋肉)だったりします。しかも、外から人の声を聞く音と、自分の声を中から聞く音は全く違います。ので話がどうしても「嘘も方便」になります。

あることが実現できていない場合、そもそもできなくて意識することが必要(=筋肉を鍛えないといけない)なのか、意識すればできるんだけど全体のバランスの中で落ちてしまっている(=イメージを変えなくてはいけない)のか、最終的には自分で判断することになるのだなと、最近思います。「方便を方便と自覚する」時期なわけです。

旋律を正しく歌うこと、歌詞をきちんと発音すること、正しい発声でうたうこと。今取り組んでいるのは、それをぜんぶ遠ざけて、俯瞰すること。これはちょっと仕事と似ています。現場で細かいことを実現するのがプレイヤー、誰が何をわかっているのか把握してやらせるのがマネージャー、最終的に営利企業として数字を調整するのが経営者。

……あ、その指摘はどうでもいいや。と捨ててしまうところが、マネージャーへの第一歩なのかな。

|

« まんまるのまんなかに | トップページ | ろじかるしんきんぐ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« まんまるのまんなかに | トップページ | ろじかるしんきんぐ »