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『怖い』を分析する

あとは熱いお茶が一杯……ではなくって。

最近思うのが、ポジションの切り替えをせずに歌えるということは、発声が安定しているということで。モードの切り替えをせずにいられるということは、人格が安定しているのだな、と。私は目下、レパートリーがわからないのと同じように、「素の自分」というのも、どれなのかよくわかりません。

最近、所用があって、原宿の竹下通りに2度ほど行った(多分生涯で3度目)のですが、2度ともなンだか怖かったです。両方とも人と一緒だったし、何か怖い記憶があるわけでもなく。普段行かない場所ではあるのですが、特にすごい人ごみだとか、治安の悪そうな感じだとか、そういうわけでもなく。……と、いろいろ考えてみて、そうかな?と思ったのが、あの入り口のけっこう急な下り坂。

上りの階段とか、上りの坂というのは、とてもとてもうんざりして、ああ、どのへんまで膝が痛くならないかなあ、と思うだけですみます。でも下りは怖いです。まったく居竦んでしまったのが、田端の某レッスンルームから駅に向かうまでの階段。あそこは、私にコレをどーしろと?という感じでしたが、そもそも実際に降りられる、降りられない以前に、心理的にダメなのかもしれません。手すりがあればなんとかなる……のは、現実的には手首と肘と肩の調子が悪くなければ、なのですが、気持ちは少し落ち着くのかも。

思い返せば……というか思い返さなくても、この『怖い』という気持ちは、去年の7月の『事件』からさらに、私の心の中に付きまとっていて、舞台が近づいてきて、演技のお稽古をしている今、実際の体の状態よりも、ちょっと知覚過敏みたいな感じになっているのかもしれません。どうするのが一番リスクが低いかよく考えて、共演者と自分自身を信頼して、とにかく悪循環にだけはならないようにしなくちゃ。

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