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14回目お稽古

というわけで、三連休は三連続。しかし寒い…。

立ち稽古の2回目は、1幕のヅェルリーナ絡みのところと、2幕のフィナーレ。あんまり歌うところがなくて、合唱さん役で、レポレッロにお尻さわられてキャっっていうのを5回ぐらいやったような(笑)。

動きがあらかた決まったので、ちょっとドンナ・エルヴィーラの心理について整理。なんか始終呆然としているような気がする…。

3:Ah chi mi dice mai。アリアの間は、自分を捨てたジョヴァンニのことを怒っているのだけれど、もてあそばれたとは完全には信じていなくて、自分のところに戻ってくるべきだと思っている。モリエールのを参考にするなら、セッコの最初で、自分を他の女と間違えて声をかけたジョヴァンニの顔を見て、間違いなく遊ばれたとわかってしまって、カタログでダメ押しされる。淡い期待の混じった怒り→自分への哀れみによる呆然→屈辱に対する復讐と変化する。
8:Ah fuggi il traditor。カタログの話の生きた証拠で、ジョヴァンニに対してはああやっぱり、こんな下賎な娘にも手を出すなんて節操もプライドもない、という呆れた怒り。ヅェルリーナに対しては、愚かな村娘、と見下した態度。私が注意してあげなきゃ、というカンチガイな感じ。
9:Non ti fidar。ここはまだアンナがジョヴァンニに襲われたという事実は知らないので、単にジョヴァンニを頼ろうとするアンナ、オッターヴィオを諌めようとしている。かつ、自分がどんなに酷い目にあったか、同じ貴族である彼らに聞いてほしい。ある意味自分とジョヴァンニの関係が特別だと思いたがっている感じ。だから邪慳にされても、最後はかなり絆されてしまう。
13:1幕フィナーレ。エルヴィーラ独自の感情の動きはあまりない。ただ最後にジョヴァンニがオッターヴィオに殺されかけて逃げるところは、殺したいほど憎い、でも愛しているから生きていてほしいという相反する感情を持って2幕に繋げたい。
15:Ah, taci。1幕の怒ったオバサンではなくて、少女のように騙されやすいエルヴィーラの優しい、甘い性格が出ているところ。モリエール版では、修道院に育ったのをジョヴァンニが連れ出した、ということになっているので、世間知らずで、男知らずで、無防備な性格の理由がわかりやすい。レポレッロ相手のセッコは、最初それでも疑っているのだけれど、すぐに愛されたくて甘えたくて、全身投げ出してしまう。
19:Sola sola。ここの前のセッコは事後。レポレッロと気づかずに関係を持ったという前提でやることになっている。なので台詞が短いけれど、完全にリラックスして、愛がオーバーフローしている状態。一人で置いていかれても、夜が怖いだけで、裏切られたとは思っていない。Pietaのところは愛と同情と誇りを持って。そのあとレポレッロだとわかる場面は、トラウマもののショック。どうしていいかわからない。なのでセッコも呆然と、屈辱に震えたままで。
21b:Mi tradi。殺したいほど憎い、でも愛しているから生きていてほしい、という前提に、こんな生活をしているジョヴァンニには、天から具体的な罰が下ると確信している。だからジョヴァンニを憐れんでいる、という修道女らしい発想がある。アリアは二律背反する感情の、怒り・憎しみと、愛・哀れみの比率を波状に変えて行って、つまりMi tradiに始まって、Pietaで終わる。このPietaはl'utima provaに繋がる。
24:2幕フィナーレ。l'utima prova。アリアと同様、ジョヴァンニが天罰によって死ぬという切迫した不安が大前提。怒りも屈辱も自尊心も消せなかった愛の純粋な形が、生きていてほしいという気持ち。だからジョヴァンニに一笑された後も、怒りよりは恐怖。死んでしまうのを見たくないと、恐怖に耐えられなくなって逃げ出す。
25:フィナーレ。レポレッロからジョヴァンニが地獄に堕ちたことを聞いて、喪失感と後悔。わかっていたのに救えなかった、と呆然とする。コメディなので最後は明るい合唱で終わるけれど、エルヴィーラは喪中。気分は未亡人。

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