このブログについて

このブログはオペラがメインで、病気の話も少しあります。わが家の猫関係の話はTwitter ( @serenthecat ) および Facebook ( kyoko.nishio.31 )に移行しております。Facebookの友達申請の承認は面識のある方に限っております。

| | コメント (0)

久々のアールリリック

5/30 19時@大泉学園ゆめりあホール。

187269229_3877700059011722_5225092273329

アールリリックといえばフランスオペラのハイライト……なのですが、今回はコロナ禍の都合もあり、アリアが中心。

去年開催されれば歌うはずだったのは、村田健司先生のフランスオペラアリア集2巻出版記念で

グノー「サフォー」からサフォーのアリア「わが不滅の竪琴よ」

マイアベーア「プロエルメルの巡礼(ディノーラ)」からディノーラのアリア「影の歌」

マスネ「ル・シッド」からシメーヌのアリア「泣け、我が瞳よ」

でした。サフォーとディノーラは私がアールリリックのハイライト初演。

 

今回歌うのは、作曲家の組み合わせは一緒ですが

グノー「サフォー」からサフォーのオード「塔に一人」

マイアベーア「ユグノー教徒」から女王マルグリートのアリア「美わしのトゥレーヌ」(サザーランドVer.)

マスネ「エスクラルモンド」からエスクラルモンドのアリア「おお、ロラン」

です。

どっちにしても、メゾの重い役、コロラトゥーラの技巧を聞かせる役、ドラマティックの役の組み合わせ。最低音がサフォーのlow-G#(楽譜どおり)、最高音はエスクラルモンドのhigh-FまたはG(アリアの前の二重唱の前のシェーナをくっつけるので)です。

ロベルトのエリザベッタのテッシトゥーラからの調整で、練習不足もあってユグノーにいちばん苦戦。相変わらずマスネのリズムと表現に苦戦。本番一週間前になってやっと体に入ってきたかんじ。

サフォーは偉大な女詩人、マルグリートは熟年の女王、エスクラルモンドは若い女王&魔法使い。いずれも堂々とした曲なので、練習不足とか調子悪いとか言ってられない。自信をもって歌わないと曲にならない。

……大人しく延期中のテルのマティルドの三幕のアリアを歌っておけば苦労しなかったのに、と思いつつ、無事開演できることを祈るのみです。

 

| | コメント (0)

ロベルト終演

緊急事態宣言延長の狭間、たまたま取った会場が神奈川だったので、ギリギリできたロベルト・デヴェリュー。できるかな、できないかな、という感じで準備も甘く、経験値豊富なスタッフと出演者に支えていただきました。

エリザベッタとしては、前日の黄砂で鼻喉が最悪……から薬漬けでやっと抜け出した、ぐらいの上気道がピリピリしながらの本番でしたが、私営の小ホールなのに癖のない響の糀ホールのおかげもあって、ほぼ計画どおりに曲の発声を組み立てることができました。

通し稽古で、声がで出きらずに後悔することが多かった最初のアリア。柔らかなカヴァティーナ&技巧的なカバレッタ、繰り返しヴァリエーションという典型的なベルカントの登場アリア。だけど、出てきてちょっとレチやってすぐ歌うには長い……。high-Dが何度も出てくるヴァリエーションを気力と背筋で上げた。低音のペット(胸声)に入れないところの鳴りがイマイチに聞こえるけど、会場特性の部分もあるみたい。

次のロベルトとの二重唱は、威厳、懐柔、冷酷、激怒と、リリックな声からペットを混ぜたドラマティックな表現に曲の途中で豹変する部分。といってもエリザベッタの声は怒っているところが基準なので、1幕アリアと二重唱の一部だけが猫撫で声っていう感じ。ここも3度があまり充実しない感じだったけれど、舞台でそう聞こえるだけみたいで、客席では大丈夫だったとか。響きが素直なわりには微妙に反響に違和感があって、共演者は返りが遅いと言っていたけれど、慣れるまでちょっと時間がかかった。

二幕は出ずっぱりで、ノッティンガムとの二重唱、ここは冷酷な女王としての顔。ノッティンガム(まだ善人)が女王に食い下がるところが美味しいので、エリザベッタの起伏はあまり出さない。やらなくてもいいけどここでhigh-Fのヴァリエーションをやって、ああ今日の高音はまあまあだな、という感じだった。Fはなぜか最近むちゃくちゃ安定している。

ロベルトが入ってからのフィナーレはエリザベッタの怒りが表面でも中でも爆発しているところで、唯一、恋敵の名前を言ったら助命というところで少しだけ柔らかな声を使ったほかは、ずっとドラマティック。命令とかそういうところは同じ音を続けるところが多くて、声の起伏は抑えながら歌詞をしっかり立てる……初演のときはこのあたりの歌詞がなかなか入らなくて大変だったけど、再演だったからわりとしっかり思い出せた。

三幕は前半お休み。サラとノッティンガムの愁嘆場(途中でロベルトのロンドン塔への移送の音楽がある)、ロベルトの処刑前のアリア(途中で処刑場に連れ出す看守の声がある)を聞く。エリザベッタのアリアフィナーレは、サラを待つ長いレチ、少しだけ知名度のあるリリックなアリアvivi、その後サラが入ってきて、ロベルトの処刑、絶望したエリザベッタの後半アリア、同じ音形で一つは女王として威厳をもって、もう一つはsotto voceの狂乱という技術的にとっても難しいもの。発声に気を取られていると歌詞を間違うという落とし穴……。間違えずに歌ったの本番だけじゃないかしら。

エリザベッタを歌うときに気をつけているのが、このsotto voce。前回はviviの中の下降音形で、sotto voceで降りて中音で実声に戻しながら広げるというのをやっただけだったけれど、今回はたくさん使った。まあまあいい感じだった気がする。

演技については、エリザベッタは基本的になにもしなくていい。スカーフを投げる、サインをする、指輪を受け取るぐらい。自分の演技力はまったく信頼していないので、どう動いても共演者がなんとかしてくれる〜と。三幕の前奏でイヤリングを外したところは、ほんとうは王冠を外すことになっているところ。イヤリングが重くて外したかった……というわけでは……あるけど。

さあ、次はアールリリックのアリア大会。懐かしい「サフォー」のオード、「ユグノー教徒」の麗しのトゥレーヌ、「エスクラルモンド」のおおロラン、を歌う予定です。無事公演できますように。

| | コメント (0)

久々のエリザベッタ

ロベルト・デヴェリューに演目差し替えといっても、ソプラノ歌手としてはマティルドの何倍も大変。

1幕のアリアからロベルトとの二重唱、2幕のノッティンガムとの二重唱と三重唱フィナーレ、3幕最後の長大なアリアフィナーレ(Viviはこのごく一部)。歌うのはこれだけだけれど、ぜんぶで50分以上。

逆境にも負けずに愛を貫き通し最後はハッピーエンドなマティルドに比べて、エリザベッタ老女王様は若い愛人の失った愛にしがみつきつつ、彼を叛逆の罪で処刑し、さらに重臣である公爵と、もっとも信頼していた親友である公爵夫人にも死を宣告、自分も墓に降りていく幻影を見ながら退位を宣言する。明るいのは回想シーンにあたる最初のアリアだけで、あとは、ロベルトを追い詰め、ノッティンガムの助命嘆願を切り捨て、死刑の署名をして、それでも愛していると嘆き、最後は狂乱。

私のことを愛しているなら許す、恋敵の名前を言ったら許す、指輪を持ってきたら許す、いやもう何もしなくても心は許しているから……とか言いつつ、ぜんぶ裏切られて処刑が執行される。こんな未練がましい気持ちには共感はできないものの、年齢的にはちょっとわかるようになってきた。ソプラノには珍しい、役の年齢に近づいている役なので、大切にしたい。

基本的に必要な声はスピントで、そのわりにアジリタは細かく、ソットヴォーチェがたくさん。優しい声と冷たい声と威厳のある声と感情をぶつけた声と、ばちばち切り替えが必要。重唱がぜんぶ相手と対立していて、寄り添う感がないのもしんどい。

練習を開始した感触では、アジリタもブレスの長さも前より落ちてる。中音から低音の処理は前よりはいいと思うけれど、支えの筋肉も落ちてる。レチはぽろぽろ忘れていて、アリアのヴァリエーションも……書いてない。

三重唱の最後と、最後の狂乱でバテないことを当面の目標に、がんばります。あと暗譜!

| | コメント (0)

ロベルト再び

5/9にテルの延期公演をする予定だったのですが、人数が多くてお稽古が組めなかったり、舞台上が密になったり……ということで、楽しみにしてくださっている方には申し訳ないのですが、テルを再延期して、アンサンブルが三重唱までしかないコンパクトオペラ、ドニゼッティのロベルト・デヴェリューをうちの初演メンバーで再演することにしました。

 

SMzTBr、四人いればほぼできてしまうオペラですが、難役揃い。エリザベス1世の晩年を舞台に、愛人、夫婦、恋人、君臣という四人の濃〜い関係がすべて破綻するというきっついお話ですが、ドラマティックで陰影の濃い音楽がとってもカッコイイです。

 

演目は変わってしまいましたが、諸々の事情が許しましたら、チラシの注意書きをご確認の上、どうぞご来場くださいませ。録画配信はできれば……の予定です。

 

Roberto_03

| | コメント (0)

課題

いろいろ大変なことがわかりきっていても、歌うべき役や曲があるというのはやる気が出る。多少の矜持はあるし、容易でないぶんだけ気力が湧く。多少の体調不良を押しても練習しようと思えるし、置かれている状況から気分的に逃避もできる。しびれの取れない手には分厚い楽譜が鉄亜鈴のように重いし、時々ページも捲り損ねるけれど、大丈夫なくらい覚えればいいだけ。何より、体調管理のハードルが上がる。いいこと。

| | コメント (0)

抒情的散文(本番)

気力と体力を削られる、特にMPをごっそり持っていかれるような曲で、どちらかというと集中力が切れることを心配していたのですが、リハからの待ち時間で、体力のほうが先にヤバくなった本番でした。7割ぐらいで調整して纏めましたが、完全燃焼にならない感じ。

次の歌曲は、冬にデュパルクのお試しと、ビゼーを少し歌う予定です。

| | コメント (0)

抒情的散文

コロナ禍真っ最中、再燃待ったなし、という世の中ですが、8月の勉強会に向けてドビュッシー「抒情的散文」を練習しています。

ドビュッシーは初期のヴァニエもの22曲の他、中期のビリティスの歌もやったので、ドビュッシーの音楽的様式は馴染んでいます。が、この曲集は詩を書いたのもドビュッシー。その長所は詩と音楽がぴったりしているということで、短所は詩人がへっぽこだということです。

ドビュッシーと詩人という点では、バンヴィルの詩に対するドビュッシーは割と素直に寄り添えている気がしますが、ゴーティエの詩に対しては共感や理解の不足を感じます。

抒情的散文は「夢」「砂浜」「花」「夕べ」の4曲です。どれも耽美調ではあるのですが、「夢」と「花」はゴスロリ、「砂浜」と「夕べ」は姫ロリの世界です。

「夢」の中で夢を見ているのは年老いた木々ですが、そこに立っているのは最後にしか出てこない「私」です。夢は過去につながり、前半が貴婦人たち、後半が騎士たち、中世の情景は常に現在の視点から、滅びさったものへの追慕のように描かれます。

「砂浜」は足元ではなく、砂浜から眺める海の情景です。少女のようにさざめく波は、突然の嵐に慌てますが、優しい月に守られ、眠ります。全体的に、絵本や幼稚園のお遊戯会のような感じ。

「花」は、閉じ込められた温室でガラス窓からの光に痛めつけられる存在として描かれます。陽の光を遮る優しい手を渇望するのですが、それは得られず、苦しみ、疲れ果てていきます。解釈はいろいろできるのですが、庇護者がいた子供時代から、大人の世界に入った時というのが一番しっくり来ると思います。

「夕べ」は、変化するものとして列車が、変化しないものとして教会が、そしてその時間の流れの中で様々な日曜日が点描されます。少女たちの塔遊び、郊外に出かける満員電車、チカチカする信号機(ハイテク感)、詩人は過去の日曜日を追憶しながら、新しい情景を少し羨ましく、変化を心配げに眺め、聖母に祈りを捧げます。

音楽的には、「夢」は夜と貴婦人を表す一つ目のテーマと、騎士を表す二つ目のテーマが溶け合って「私の夢」という落ちがついていくので、たゆとうような音楽と、勇壮でスケール感のある音楽の差がポイントで、二つ目のテーマは少しドイツ的に歌うほうが合っています。

「砂浜」は、夕暮れの海とさざめく波、嵐と波に吹き付ける風、穏やかな月の出と静かな教会の鐘、という2×3部分に分かれているので、それぞれを絵本的に表現すれば起承転結になります。

「花」は、苦悩と望みを描く最初の静かな部分、打ち破ることができないもがきを表すドラマティックな部分、絶望と諦めに満ちた最後の祈りのような部分です。感情が高まっていくところはアリア的で、歌うのがちょっと大変ですが、この曲の一番のポイントは、チラチラと出てくる、さりげない一瞬の長調(3回)ではないかなと思います。

「夕べ」は、前半はあまり詩人の感傷に付き合わず、ピアノと一緒に旅番組のテーマ曲になりそうなウキウキワクワク感を描くほうが、後半の静かな情景との対比ができてよいと思います。

四曲を通して感じるのは、過去、子供だったころへの憧憬です。声楽的にはいろいろな表現や声の色が求められるので大変ですが、ふわっとぼわっとしたところをニュートラルの位置として、そこからドラマティックだったりコケティッシュだったり澄んだ表現だったりを8割くらいで作るのが全体のまとまりがよいのではないかなと思っています。

表現という点では自分に合ったレパートリーだし、私の声のヴェラータな(覆われた)ところは合っていると思うのですが、鈍い金属のような暗さと冷たさは全曲通すとちょっと邪魔だなと思うことがあり、特に「夕べ」はちょっとまだ違和感があります。今のところ一番歌いやすいのは「夢」で一番好きなのは「花」です。曲の成立順を考えると、無理に四曲をこの順番で通さなくてもいいかもしれない、とちょっと考え中です。

| | コメント (0)

遠隔合成「ウィリアム・テル」4幕フィナーレ

それぞれが家で演奏して、それを合成してアンサンブルにするというのが流行っているようで、本来の本番日だった昨日、うちもやってみました。

久しぶりにFinal Cut Pro(Xではない)を引っ張り出して、いつもならYoutubeに流すだけなのを、若干編集かけてみました。

一番大変だったのは、入りのタイミングを合わせること。リズム音痴&反応速度激遅な私にはけっこうきつい。派形で合わせようとしても、立ち上がりの発声は子音によって違うし、人によっても違うし。てきとーに合わせた後、耳で調整するしかない。

自分が歌う時も、アンサンブルでやっている時の、「予兆」みたいなものがない。ブレスの音とか、雰囲気とか、もう何かよくわからない直感とか、そういうもので細かく合わせているので、音が鳴ったのを聞いてから合わせる、だと遅れてしまう。ピアノを先に録音してもらったので、何回か練習して、まあ多少ズレてもいいやいちおうフランスものだし、ということに。

あとは音量の調整。みんな録音環境が違うので、全体の波形を見て、アンサンブルの時にいい感じになるように調整する。派形上音量が大きくても、よく聞こえるのとは違う。そこを調整するから、生で聞こえるバランスとは違う。といっても経験ないので直感だけれど。

なぜ私のパートが猫(リオさん)かというと。撮った時はできるかどうかわからない、まだお試し、という感じだったのと、最近引きこもりすぎて、お化粧してパリッとする気力がなかったからです。リオさんのほうが100倍可愛いし、嫌そうなのも可愛いし。

録音の時は、高音は細くとらないと音が割れてしまうことが多かったので今回もそうしたのですが、買い換えたばかりのiPadは結構頑張ってくれたので、いらなかったかなあ。細くとるというのは音量を小さくするということではないので、細いままクレシェンドもできます。

今回ジェミ役の中畑さんは、リリックなものをよく歌われるソプラノで、お会いするまでは声ちょっと被るかなあと思っていたのですが、録音で聞くとはっきり声質が違うのがよくわかりました。でもどっちが軽い?っていうと微妙。自分の声のほうが、声は重くて響きは軽く感じる。テルのお稽古が再開したら、一回横で歌わせてもらおう。

| | コメント (0)

公演延期 ウィリアム・テル

_03_20200327073801

 

4/12のセレンディピティ・オペラ主催「ウィリアム・テル」は、昨今の情勢を鑑み、日程未定の延期とさせていただきます。

 

なお、流動的ではありますが、本番日のライブ配信または録画配信を計画しております。可能な場合はこのページでご案内させていただきます。

 

チケットの取り扱いは以下の通りです。

・延期公演のチケットと交換いただけます。

・延期公演にご来場できない場合、払い戻しいたします。

・払い戻し期限は、延期公演開催後1ヶ月とさせていただきます。

 延期公演が行えなかった場合は、2021年末まで受け付けます。

・払い戻しのご相談は serendipityopera@gmail.com までご連絡ください。

 チケット返送後、お振込にて対応させていただきます。

 

| | コメント (0)

テルのマティルド

英:ウィリアム・テル
仏:ギョーム・テル
伊:グリエルモ・テル
独:ヴィルヘルム・テル

ということで、今月からテルの稽古が始まるので、マティルドの練習を始めています。マティルドはオペラではハプスブルグ家の皇女ということになっていますが、シラーの原作ではベルタというキャラで、単なる高位貴族令嬢で、片思いされる相手も下位貴族で、オペラみたいに超絶身分違いというわけではありません。原作ではベルタのほうが庶民派で、相手のルーデンツは、地元貴族で庶民派の家柄だけれど皇帝にすり寄ることでベルタを得ようとしている貴族派。マティルドはベルタのように行動的ではなく、相手のアルノールは平民の兵士。

歌う曲は4箇所で、テルの息子のジェミ(ソプラノ)や妻エドヴィージュ(メゾ)のほうが歌う量はたくさん。

・2幕のアリア暗い森〜二重唱:片思い→両思い
・3幕のアリア:恋のあきらめ
・3幕のアンサンブル〜フィナーレ:ジェミの救出〜反乱軍に混じって応援
・4幕の三重唱・二重唱・フィナーレ:ジェミをエドヴィージュに返し後見、テルの無事を祈り、大団円

2幕の「暗い森」はロッシーニのレガートものの中では指折りの傑作アリア。とにかくブレスのコントロールと、フランスものらしくあっさり歌うこと。
続く二重唱も急緩急の美しく勇ましい大傑作。緩の部分はレガートラインと、しっかりテノールの弱高音を支えること。急の部分は、めくるめく感いっぱいなのを二人で息を合わせて表現するのが楽しい、でもスタミナ勝負。

3幕はアジリタものとレガートものの中間で、別れの嘆きと希望を持ち続ける明るさのコントラストがとても美しいアリア。アジリタの部分はロッシーニのアジリタというより、ベッリーニのアジリタのような感じで、レガートラインにうまく乗せていく感じ。

3幕のアンサンブルはなぜか突然モーツァルトのような感じで、特にジェミを救出するところは、高低も激しく、縦線が効いていて、どうしてもドン・ジョヴァンニのドンナ・エルヴィーラを思い出してしまう。ゲスレルも同じ旋律を歌うので、ドイツ風、という意味なのかも。

3幕のフィナーレはロッシーニらしいストレッタと、今回は差替えで序曲テーマのもの。4幕フィナーレと被るところはあるけれど、アーナテームゲースレーよりはカッコいいかな。

4幕は女声の三重唱で、上に行ったり下に行ったり、でも美しい。初演からもカットされた曲だけれど、戦争のシーンは裏で、待つ女たちが描かれるのは素敵だと思う。その後の二重唱はテルを心配するエドヴィージュがメインで、マティルドはこっそりアルノールと重ねてテルを心配する。その後はテルがゲスレルを殺す場面で、これはテル一家で描かれる。マティルドは合流したアルノールに、身分を捨てて共に生きることを宣言する。最後は美しいアルプスの夜明けの場面で終わる。この場面にマティルドがいない版もある。

マティルドの性格は、高貴で決然とした皇女らしい人。年齢も20代半ばよりは後のイメージ(嫁き遅れ感あるけど)。でも宮廷では自分の幸せを見いだせず孤独を感じている。アルノールとは湖で溺れかけたのを助けてくれたのが縁で相思相愛になった。アルノールはテノールらしく、優柔不断なところがあり、非常にファザコン。依存心の強いタイプなので、決断力のあるマティルドとはいいカップルなのかも。政治的には3幕のアリアまでは対立する陣営で、ゲスレル対マティルド以降はテル側に着くのだけれど、そこの決意は描かれない。3幕の三重唱の後、私がここにいることがテルの命の保証となる、つまり自ら人質になりにきた、と言っている。が、初演はここもカットだったはずで、フィナーレにも出なかったので、アルノールとマティルドの話は結論が出ていない。とはいえ、マティルドがハプルブルグ家の皇女という設定なら、ゲスレルとももっと政治的に相対できたはずなのに、同格未満のやりとりになっているし、自ら人質になりにくるという消極的な関与や、最後は身分を捨てるというのではなく、もっとできることあるでしょ、という感じがするので、テル一家の物語であることが強調された初演版などど、校訂譜版だと、納得感は似たり寄ったり。でも役の格として明らかにプリマなマティルドが最後出ないというのは、観劇として〆らないのも事実。

初演のマティルドはフランス人のサンティ=ダモローで、パリのイタリア劇場、ロッシーニのフランスものを多く初演。エリザベッタのマティルデ、ランスではフォルヴィル(つまりセコンダ。といってもプリマはパスタ夫人とかだから仕方ない)、その後オペラ座でテルのマティルド、コリントなどのプリマ、あとマイアベーアのディアボロでイザベル。その後オペラコミークに移った(といっても当時のオペラコミークのレベルはむちゃくちゃ高い)。綺麗な声で美しいレガートラインと癖のないアジリタを歌うタイプで、そんなにハイソプラノではなく、ちょっと低めでも大丈夫な感じ。外連味のあるコルブランやパスタ夫人のために書かれたものより上品な感じ。ドラマティコよりはリリック・コロラトゥーラだったのかな。

マティルドの演奏では、フランス語版ではモンセラ・カバリエが、イタリア語版ではシェリル・スチューダーが好き。カバリエは上品で、少し線が細いけれど、上から吊ったようなアジリタが綺麗。スチューダーはリリックとドラマティックのバランスがドイツ人の皇女らしい。

まだまだ、歌っていてなかなか納得いく出来にならないけれど、がんばらなくちゃ。

テルが終わったら、ディノーラ(影の歌)とサフォー(竪琴)とル・シッド(泣け)を同日に歌うという試練も待ってる。歯を壊している間に、体の支えが弱くなっているので、サフォーが歌える大きさをめざして作り直し。そしたらマティルドもうまくいく、と思う。

| | コメント (0)

«叙情的散文